悪名高い日本バレエ界のノルマ制は本当に問題か

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 このツイート、FacebookやTwitterでかなりシェアされていますが、問題の共有方法に関して思うところがあったのでブログに書くことにしました。


▶ 何が問題とされているのか


 バレエ界のことをよくご存じでない方は、上記のツイートを読んで少し驚かれたかもしれませんが、日本のバレエ団ではしばしば、出演するダンサーが公演のチケットを数十枚買い取らされ、個々の親族知り合いに持ち分を売りさばく、という手法がよくとられています。それほどにバレエ団の興行は過酷であり、実際、月給制を実施できるようなバレエ団は日本にほとんどありません。ほとんどは公演ごとの支払いを約束するのが精一杯であり、当然ダンサーの収入は常に大きく増減することになります。

 近年、若手バレエダンサーの海外進出が騒がれるようになっていますが、その裏にはこのように、「日本のバレエ団がダンサーの生活を保障できていない」という現実があります。

 元のツイートの文脈に沿って言うならば、「ノルマで売られているチケットの数が会場の総席数のほとんどを占めているのではないか」ということが問題になりますし、その後リツイートなりFacebookでシェアされている投稿などを見ると、「ギャラよりも高額なノルマが課されている限り、ダンサーにとっては無給どころか損になりうるような就労状況というべきであり、それがまかり通っているのはいかがなものか」といった反応もあるようです。


▶ 本当に問題なのか


 僕が懸念しているのは、「何が誰にとって問題なのか」という点がきちんと整理されないままシェアやリツイートが広がっていることです。

 まずは、なぜ、を考えるべきです。なぜノルマが存在するのでしょうか?殊にお金の絡む話である以上、ノルマが無意味に存在しているはずはありません。それは言うまでもなく、ノルマなしではチケットが余り、主催者が赤字を一手に負う始末になるからです。もしもダンサーとの契約の時点で彼らにチケットを買い取ってもらえれば、少なくとも主催者側の黒字(最少額の赤字)は保証されます。ノルマはこの場合、ダンサーの雇用主である主催者にとってのメリットであり、被雇用者であるダンサーにとってはデメリットといえます。

 果たして、これは本当に問題なのでしょうか?すなわち、誰にとっての問題なのか、という見方を変えてみると、ノルマ自体は必ずしも問題でなく、むしろ必要不可欠である可能性さえある、という認識をまずは共有しなくてはなりません。

 ノルマは日本バレエ協会にとって「問題」ではありません。舞台芸術に必要とされるのは人件費のみならず、衣裳や舞台装置、照明器具の維持費などを含みます。「ろくにお金を生まず、ただ出費のかさむ行事」であるという点において、バレエは現代においても貴族的であると言わざるを得ません。欧米のバレエ団と比較すると日本のノルマシステムが「ありえない」のと同様、経済をより効率的に回すことのできるほかの産業と比較すると、バレエは「ありえない」職種なのです。

 さらに言うなら、今回の件はダンサーにとっても必ずしも問題ではありません。問題とされているノルマと給料の表は日本バレエ協会がオーディションの要項として載せたものであり、すでに雇用関係を結んでいるダンサーに押しつけられたアイデアではありません。気に入らないダンサーは応募しなければいいのであり、また採用されたいと思うのであれば、雇用主の条件を呑むことは必須でしょう。

 厳しいことを言うと、これが仮にとある東京のバレエ団の現状であったとしても、ノルマ自体が問題と見なされるには難があります。なぜなら、そもそも東京で暮らすにはお金が足りないというのは、物価の要求するところであり、バレエ団の責任ではないからです。僕自身は、トビリシという辺鄙な町で、ささやかながら月給制の労働契約を結ぶことができていますが、もしもこの給料で1ヶ月東京に住めるか、と問われれば、正直なところ無理だと答えるでしょう。逆に、日本のバレエ団での公演ごとの給料も、トビリシで生活するには十分な額なのかもしれないのです。


▶ 何が本当に問題なのか


 何が本当に問題なのかは、誰にとって問題なのか、という視座の設定も含め、非常に難しい質問です。「理想を言えば…」という観点からすれば、たしかにノルマのある雇用形態は問題ですが、日本バレエ協会なりなんらかのバレエ団が、集客数の望めない現状においてノルマ制を放棄することは、ダンサーにとって良心的であるとはいえ、非常にリスクが高く、コミュニティそのものの継続を困難にするだけでしょう。

 僕の見る限り、問題の一つはこのような雇用形態が数十年にわたって改善されなかったことだと思います。たとえば数十年前は、きっとこんな形でノルマが始まったのでしょう――バレエ団は立ち上げたけれども、お金がない。それでもなんとかして公演を実現したい、私たちは舞台で踊りたいんだ、という団員全員の気持ちがただただ強く、みんながチケットを協力して売り払うことで、やっとこさ劇場の予約にまでこぎつけた――こういった話はなにもバレエだけでなく、ビジネスの創業物語にはよくあるものです。

 ただビジネスの創業物語と違うのは、ここを起点に次のビジネスモデルへと進展する動きが見られなかったことです。つまり、長期的には絶対維持できないような運営を多くのバレエ団が続けてきたのであり、ノルマ制はそのシワ寄せなのです。東京バレエ団とNBS、あるいはKバレエカンパニーとTBSのような経営システムはまれで、ほとんどのバレエ団は個人経営であり、それもスポンサーのない状態を逸することができていません。一つにはスポンサーもオーディエンスも集められないビジネスを続けていたということ(すなわち現状のようなバレエ公演は、その中身がいかに深淵な美しい芸術であろうとも、一般に商品価値を見出されていないということ)、一方ではある国で評価されている芸術が(日本に限らず)他国にて同じ地平で評価されるとは限らないというようなことが言えるだろうと思います。はたまたバレエ団側が、客が集まっても黒字化しないような価格でチケットを売らざるをえないような、結果からすれば、ニーズの全くない公演のラインナップを組んできたということさえありうるかもしれません。そして、このような問題が明らかになった際、すぐさま問題解決に取り組んでこなかった、という事態があったとすれば、それは本当に問題であると言えるでしょう。


▶ 目的から問題へ、問題から解決へ


 今日、SNSは多大な影響力を有しているので、シェアやリツイートが問題拡散の方法として非常に有効なのは間違いありません。しかし、問題の措定さえままならない状態で情報だけが拡散しても、もやもやとした腑に落ちない気持ち悪さだけが各々に共有されるばかりで、問題の解決には繋がりません。もし仮に、スポンサーが全チケットを買い上げ、ダンサーのノルマがゼロになったら問題は解決するでしょうか?そんなことでは、ノルマがあろうとなかろうと、新たなオーディエンスの獲得には繋がらないでしょう。ダンサーやバレエ協会双方の言い分を視野に入れたうえで、「バレエを見たことがない人たちに足を運んでほしい」といった目的が生まれれば、おのずと問題は「ノルマをダンサーに課すことで、観客のほとんどが出演者の個人的な知り合いになってしまう」というふうに設定されるはずです。こういった地に足の着いた議論が、もっと増えていけばと切に願います。




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